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山商リフォームサービス山﨑晶弘CEOの社長日誌

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2014年 12月 29日

今年も1年有り難ぅございましたm(__)m

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いよいよラス前、今年最後の週になりました〃

今日29日は既に年末年始の休業に入っている会社も多いではないでしょうか?

こんな年の瀬の喧騒の最中ではありますが今年1年を振り返り、このBLOGを御覧戴いている皆さんは如何でしたでしょうか(・・?)

私的には今の生活がほぼ仕事で占められている為、仕事良ければ=総て良しと到って単純明快な思考で◎、…とまぁここ迄は良かったのですが、こないだたまさか読んだ雑誌の運勢では来年は△(;^_^A

これまでもこのての運勢は、自宅も本社ビル等も果ては墓所建築時迄、一切考慮せず大厄も殊更何もなく過ごしてきた(^^)v故、というか物事総てポジティブに捉える性格からか、吉時はソレを追い風に凶時はソレを戒めに頑張る…なぁ~ていうとちょっとカッコ良過ぎ!?

吉であれ凶であれ、とにもかくかくにも生きていかねばならぬワケで、「どうせ遣るなら喜んで」をさしずめ「どうせ生きるならポジティブに」と、何やら哲学的になってしまい纏まりが着かなくなってしまった年の瀬ラス前のBLOGですぅ(^^ゞ

今年1年拙い文章にも拘わらずご覧戴いた皆さんに改めて御礼を申し上げ、来年も引き続きご覧戴けます様頑張る次第ですp(^^)q

by yamasho8044 | 2014-12-29 08:30 | リフォーム
2014年 12月 26日

ン年越しの本番に(^.^)㊦

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前回の続き∟∟∟

'オギノ式'といぅと、何か古くさく、一寸エッチな感じがしますが(--;)、あまりに実用的ではない避妊法です(..)

芝居は、その発案者荻野久作の物語で…

舞台は大正の終わり、新潟のある病院の産婦人科で、その医長を務めながら当時学会最大の謎だった?月経と排卵の関係究明に挑んでいますφ(゜゜)ノ゜

日々の診療から症例を集め、患者の女性達に夫婦生活を尋ねたり、果ては自分の妻に月経の記録やら夫婦生活をも論文として発表してしまいます(・o・;)

やがてそんな甲斐あって、世界に驚嘆を持って認められることとなりました(/\)\(^o^)/

それは、自然の摂理に逆らわない避妊法として、ローマ法王庁が認めた唯一の避妊法となり,これがこの演目のタイトルの意味です≠

私は、その主人公を慕う新潟医大の学生を演じましたぁ(^o^ゞ

by yamasho8044 | 2014-12-26 08:30 | リフォーム
2014年 12月 22日

ン年越しの本番に(^.^)㊤

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このBLOGで数回掲載させて戴いた演劇仲間(/\)\(^o^)/との稽古が実を結び!?、14日の日曜日(祝)本番の日を迎えましたぁ(^.^;)/

2年前、大学時代の同期会幹事を仰せつかり、その大学時代の友人より誘われ40年前の演劇青年連からなる劇団?に入団!?

私は途中からの参加でしたが、主たるメンバー(以下往時の呼称そのままで)銀ちゃ ん・西脇・モコちゃん・ナコちゃん・久美ちゃんにアケは更に遡る事3年!4年!!と月一稽古を重ね、この度本番の運びと成りましたぁ(-.-;)

年末=年の瀬≠師走の忙しぃ時節ではありましたが、旧交のよしみにや知人知り合いに取引先迄??ご観覧戴き、その後の大学時代の面々での酒席では往時の話しで盛り上がり俄同窓会状態と(^_^)/□☆□\(^_^)

でぇ演目の[法王庁の避妊法]ー ・日時 12月14日(日)午後5時開演 ・会場 〇〇宅バレエ教室稽古場(〒〇〇市〇〇区〇 〇〇〇〇-〇-〇〇) ・集合 〇〇〇〇線〇〇〇〇駅北口改札に午後4時集 合で会場までご案内し ます(^3^)/※公演終了後近隣似て懇親会を行います(^_^)/ □☆□\(^_^)

でぇ演目の[法王庁の避妊法]ですが…

次回に続く∟

by yamasho8044 | 2014-12-22 08:30 | リフォーム
2014年 12月 19日

半年振りの再会を佐賀の地で(^^)/\(^^)

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このBLOGにこれまで一番多く掲載させて戴 いている?のが、現在私の生活の中で家庭!と会社!!にこのところご無沙汰続きのロータリー!?を除けば、多くの時間を費やしているのが業界団体ジェルコです (/--)/

10年前本部理事の大役を仰せ浸かったのち9年前からは副会長の重責を担い、北海道~沖縄迄8支部を往き来する様中親交を深めたのが九州支部の山口さんです(^人^)

前任の中林会長時に九州支部長を経て現在中山会長の下、私が前任した本部体制整備委員会を、現在担当する山口さんの本丸九州は佐賀似て開催馳せ参じました(^o^)/

全国組織のジェルコ故北は北海道…といぃたぃところですが、現在の委員最北は地栃木県は宇都宮市の山口元会長の子息弘人さんから、最南は大阪府茨木市の奥滝さんまでの構成に(゜゜)(。。) (゜゜)(。。)

会議が終わればいつもの如くのアフタージェルコ?! をグルメの誉れ高い('_'?)ご当地山口さんの導きで、渇きに渇いた喉を先ずは冷えに冷えたビールで交わ'乾ぁ〜杯ぃ'(^_^) /□☆□\(^_^)

消費税増税等業界を取り巻くも大きく様変わりし、それはそのままジェルコの組織構成にスライド(業界団体故に当たり前ではありますが)、これからの業界動向やらリフォーム談義で盛り上がりΨ( ̄∇  ̄)Ψ

今宵はstay(+.+)(-.-)(__)..zzZZ、そんな安堵感もあっていつもの八丁堀界隈とは異なり時間気にすることなく飲んで語らぃ気付けばいつもの就寝時間を悠に過ぎぃ(;O;)と(;O;)(;O;)(;o;)

by yamasho8044 | 2014-12-19 08:30 | リフォーム
2014年 12月 15日

⑥落ちてくるものを拾って運用する能力…完

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落ちてくるものを拾って運用する能力

山崎 元岩手県知事の増田寛也さんは「地方がいよいよ壊滅のカウントダウンになったと」言っています。
 高度経済成長期に若者の1/3が工場の労働者として大都市に来ました。一旦は、田中角栄さんの政策で企業が地方に分散され、地元の人たちの働く場所ができました。
しかし、昭和62年(1987)頃の円高により、国内のものづくりが成り立たなくなって海外に進出し、若者の1/3が流出してしまいました。
 残りの1/3は地方に留まっているわけですが、それは医療と介護があったからです。しかし、対象である高齢者の寿命が伸び、天寿を全うし始めたので、彼らも大都市に来ざるを得なくなりました。

──地方に若者がいなくなってしまいますね。

山崎 かつてエンドユーザーを相手にする商売のゴールは、北海道から沖縄までのナショナルチェーン、全国展開で、今までは拡大の時代でしたが、これからは縮小の時代です。
 じつは、会社の経営を委ねようと思っている者に、熱海と鬼怒川の温泉ホテルで勉強させています。

──なぜ温泉ホテルに。

山崎 縮小の時代をしっかり感じ取ってほしいからです。
 ずっと昔は温泉街に出て楽しみましたが、高度経済成長期ではコミュニティが会社内だけになり、温泉地に行っても、何百人もの団体ですから、ホテル内で何でも済ませたいと考えるようになりました。ホテル側もそれに応えて、いろいろな施設をつくったのです。

──それで、だんだん大型化していきました。

山崎 ご存じのように、再び時代が変わって、大型の観光ホテルは持ち堪えられなくなり、次々に閉鎖しています。
 都心でも、例えば八重洲通りの約700mで、私が見る限り、テナント募集の看板がないビルはわずか2つだけでした。

──空きテナントばかりなんですね。

山崎 かつてのように自らの努力で拡大していくのではなく、落ちてくるものを拾える時代になっています。それをきちんと運用できる能力を貯えておくことが大切なのです。
 これからリフォーム業界、新築業界も含めた建設業界が再編成されますが、これは我々にとって千載一遇のチャンスです。

──どういうことですか。

山崎 建設機器メーカーなどのいわばサラリーマン社長は、同期へのライバル心もあり、株主へのアピールもあって、着工件数が60万件になると言います。しかし私は、60万件など夢のまた夢だと思っています。
 ボストンコンサルティンググループなどのシンクタンクや大学教授の方々に忌憚なくお話しさせて頂くと、やはり40万件を割るだろうという予想です。
 仮に60万件としても120万件のマーケットが半分になるわけですから、どのハウスメーカーも持ち堪えられません。すると陶太が始まって、上の強いところが下の弱いところを食っていきます。

──陶太が始まって弱いところが食われる。

山崎 私は来年の消費税増税を待ち望んでいます。我々も消える可能性はありますが、陶太で勝ち残った者にとっては間違いなく市場が拡大するし、また業者が少なくなるので安定経営ができるようになります。
 欧米には新築専門の会社がなく、リフォーム主体の会社が新築も取り扱っています。同様に日本でも、2020年以降にリフォームで勝ち得たところが、ハウスメーカーで弱体化した部分を買い取って、ホールディングできると思っています。

──これからまた勝負ですね。

山崎 わずか69年でこれだけ建ってしまったのは異常事態です。大きな変わり目には、今まで良かったところが、流れに対応できずに悪くなります。
 このチャンスを生かすには、メインバンクから「危ない会社を買い取ってほしい」と声がかかるぐらいの規模になっておかなければなりません。2020年までに100億円にしておけば、その切符は手に入ると思っています。そこから先はM &Aで拡大できるでしょう。

──山商リフォームサービスさんなら十分に可能でしょう。

山崎 正に千載一遇のチャンス来たり、というところです。

──御社の将来も社長の将来も明るいですね。本日はありがとうございました。

by yamasho8044 | 2014-12-15 08:36
2014年 12月 12日

⑤非常に頻度の低い商売を宣伝するには

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非常に頻度の低い商売を宣伝するには

──もっと宣伝したほうがいいのでは。

山崎 持ち家率が60%とすると、我々の商売で、半分の人は生涯お客様になることがありません。普通、家を持つのは一生に一度のことで、日常性がなく、非常に頻度が低いのです。
 頻度の高い商売、例えば缶コーヒーのお客様は飲んだ経験を基に商品を選びますが、リフォームのことを日常的に考えている人はまずいないでしょう。
 例えばハワイに初めて行く人は、出発前にガイドブックを買ってどこを見ようか、何を食べようかと調べます。

──リフォームの必要に迫られて、にわか勉強するんですね。

山崎 家を持とうと思ったときもそうです。
 ですから、みんなに周知されなくてもかまわない。家を持とうと思った人が調べに行くところへ看板を出すことが、非常に大切なのです。

──なるほど。よくわかります。

山崎 リフォームのことが日常的に知られるようになればうれしいですが、今の段階ではそこまで広告宣伝費をかけられませんので、そういう場所に道しるべのような看板を出すことがブランドになると思っています。つまり、伝えることが非常に大切なのです。

──欧米と違って、日本の工務店はほとんど壊滅状態ですね。その技術を宣伝してこなかったからでしょうか。

山崎 我々の工務部門の親方は青森の人で、中学校の卒業式にも出ずに、集団就職で江東区の親方に弟子入りしました。
 つらくても、いわゆる口減らしですから、帰ることもできません。ずいぶん厳しく、殴る蹴るで教えられたようです。
 彼は親方に、職人は腕さえあればいくらでも仕事があると言われたそうですが、以前はハウスメーカーに対して疑心暗鬼の部分もあったので、技術を持っている工務店のほうが圧倒的に強かった。
 しかし一般の人に、技術があるところかどうかなど、わからないでしょう。

──たしかにわかりませんね。

山崎 広告宣伝で伝えるためには、そのノウハウが必要です。我々はその習得を怠っていたし、そんなものがなくてもいいと教えた人が成功したので、疑いの余地もありませんでした。
 多くの消費者の方にとって、家と言えばハウスメーカーというのが定番になってしまった、と言うより、我々がそうしてしまったのです。それで、工務店が駆逐されたのではないかと思っています。

──リフォーム市場の現状は。

山崎 空き家率で見ると、北海道から沖縄までの平均で、13.1〜13.5とされています。今は家が20件あると3件が空き家という時代です。
 地方はもちろん、東京でも国道沿いから一歩入ると本当に空き家が多い。
──空き家は防犯にも悪いし、治安レベルを落とします。
 アベノミクスの政策で中古リフォーム再生プランがありますね。

山崎 アベノミクス事業の筆頭株です。2020年までにリフォームのマーケット6兆円を倍の12兆円、中古の流通4兆円を倍の8兆円、合わせて20兆円にするという事業規模で、税制面優遇などの追い風もあります。

──規模が大きい。

山崎 これは国の都合で、利用価値はありますが、その通りになるとは思っていません。
 ただ、20兆円という数字はともかく、その方向には進むだろうと考えています。
 地方でどんどん人口が減って、社会基盤が閉鎖しますから、移動できる若者は東京に来ざるを得なくなります。

by yamasho8044 | 2014-12-12 08:47
2014年 12月 08日

④小さな会社を大きくしていく人生道場

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小さな会社を大きくしていく人生道場

山崎 私はよくドラマの「水戸黄門」に例えて話します。昔、悪代官に賄賂を贈るのはいつも悪商人で、製造者より販売者のほうに力がありました。しかし、産業革命が起きると、製造業ではベルトコンベアを稼働した分だけ労働生産性が出るようになります。
 逆に、営業マンは1日のほぼ半分、47%は車で移動する時間です。

──たいへん無駄ですね。

山崎 タクシーの運転手や宅配便のセールスドライバーなら、それもお金になりますが、極めて労働生産性が低い。我々リフォーム屋も同じで、工場でベルトコンベアを動かしていればお金になる会社に勝てるわけがありません。
 首都圏だけで3万台、4万台も洗面化粧台をつくっていますが、メーカーの数は、我々プロでも聞いたことがないところも含めて10社にもならないでしょう。つくっているのは一握りで、売るほうは数多あります。

──そんなにあるんですか。

山崎 それで、なかなか大きくなれないのが現実です。
 私はラクして儲けたいということでスタートしました。一方で、あらゆるものを放棄して地方に行き、手間暇かけて無農薬で農産物をつくり、それで一生を終える人もいます。どちらが人間的に崇高かは、言わずもがなでしょう。
 しかし、小さな会社を大きくするのは非常に面白い。いわば人生道場です。

──御社の実績は。

山崎 リクルートが運営するマッチングサイトで2013年度は契約高、契約件数ともに東日本第一位です。

──社長は日本住宅リフォーム産業協会の副理事長をされているそうですね。もう業界の柱です。これからどのように業界を引っ張っていかれますか。

山崎 引っ張るなどとは思っていません。
 ただ、将来を見通して、もっと大きなことを考えています。
 2008年頃から人口が減っていますが、これは日本のあらゆる産業に関わることです。人がいて、そこでいろいろなことが起き、商売が生まれるからです。人口が減っているということは、じつはたいへんなことなのです。
 戦争で310万人が亡くなり、終戦時の人口は7000万人でした。ぜんぶ焼け野原になって、家と家財一式が消えてしまいました。
 衣食住の一つである家は、人間が生きていく上で、最低限必要な場所です。

──雨露を凌ぐところですね。

山崎 それがなくなってしまった。
 アメリカやヨーロッパにはハウスメーカーがなく、コントラクタという建設業者だけで供給できます。アメリカの人口は3億人で、新築着工件数も50万件とヨーロッパに比べて突出していますが、日本はなんと120万件〜180万件。
 積水ハウスやダイワハウスからリタイア後の親方までもが120万件の家を建てて、新築産業が成り立ってきました。
 戦後に7000万人の家が必要で、さらに復興のために産めよ増やせよということで、いわゆるベビーブームになりました。

──昭和22年(1947)から24年に生まれた子どもが団塊の世代ですね。

山崎 国策に則って人口が爆発的に増え、1.8倍の1億2800万人までになりました。それで、新築業界はもう空前のバブルです。
 大工さんだけでは間に合わなくなり、ポリバケツの積水化学工業やパイプの大和ハウス工業がハウスメーカーをつくるなどして、どんどん増えてきました。

by yamasho8044 | 2014-12-08 08:29 | リフォーム
2014年 12月 05日

③メニュー型チラシの脅威に押し潰され

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メニュー型チラシの脅威に押し潰され

山崎 今にして思えば、高度経済成長期の成功は一過性でした。当時は若くて、安易な考えしかなく、この状態がずっと続いてほしい、続くに違いないと、頑なに信じ込んでいました。
 今のように業界の横の繋がりもありませんでした。

──成功体験から抜けられなかった。

山崎 もう通用しなくなった成功体験です。
 しばらくして、飛び込み営業を手伝って下さったパートさんが、少しずつ減っていきます。

──何があったんですか。

山崎 我々のパートさんは皆さん優秀でしたが、たまたま周りに採用がなくて、やむを得ず我々の求人に応募した方が多かった。しかし、バブル期には事務員や店員など良い仕事が増えてきますので、そちらに移っていきました。
 飛び込み営業をする人材がいなくなったので、仕方なくチラシを折り込み始めました。
 社名と電話番号を入れておけば注文が来るはずと思っていると、印刷会社の人がもったいないから裏にも何か載せたほうがいい、と言ってくれました。それで、塗装の種類と単価などを18アイテム載せました。
 これが大好評で、どんどん仕事が入ってくるようになりました。競合が少なかったのです。

──わからないものですね。

山崎 しばらくして、ある大手企業が有望な市場としてリフォーム業界に目を付け、セミナーであるビジネスモデルを普及させ始めました。
 我々のようにリフォーム専門の業者を独立系と言いますが、大手デベロッパー系、ハウスメーカー系のリフォーム業者が雨後の筍のように爆発的に増えていったのです。
 それらの会社はメニュー型チラシをつくりました。レストランのメニューのように、できるだけ多くの商品を掲載し、どれも価格訴求型で安価です。
──御社はどうなりましたか。

山崎 もう谷底どころか断崖絶壁で、まず人員削減です。当時は3店舗でしたが、店長だけにして、それでもダメで、ぜんぶ本社に統合。いよいよ私とずっと一緒に頑張ってきた者の2人だけになりました。
 苦しい時代がその後、10年間も続きます。
 それでも、当初に5億円の売上まで伸びたので、1億円の地盤がありました。2人になると、逆に利益率がぐっと上がりました。

──規模が小さくなりましたが、ラクですね。

山崎 先ほどのメニュー型チラシに、いかがわしい部分はたくさんありますが、現実にはそれがお客様に支持されているわけです。
 恥ずかしい話ですが、チラシの悪口を言っているときだけ、不安から解放されました。

──よくわかります。

山崎 それでは、実際に何も改善されません。1年ぐらいはどんどん落ちていきました。
 血が出たらまず止めなければなりませんが、流れ出るまま、とにかく成長し続けるしかなかった。どんどん追いやられて、悪口を言っているときだけ、逃避できたのです。
 意を決してセミナーに行ってみました。ほとんど聞くに足りない内容ばかりでしたが、唯一学んだのは、価格はお客様が決めるものだということです。

──どういうことですか。

山崎 我々は、問屋さんが卸してくれる価格に一定の利益を乗せて売る、としか考えていませんでした。しかし本当は、商品自体にいくらの価値があるかが重要なのです。
 例えば当時、洗面化粧台がずいぶん普及していました。我々は60cm幅のものを10万円に設定しました。ところが、ホームセンターでは5万円で売っています。
 お客様にとっての価値は5万円ですから、一定の利益がほしければその分を差し引いて仕入れなければならないのです。

──問屋が価格を決めてはいけない、ということですね。

山崎 中内功さんが提唱した「価格の決定権を製造メーカーから消費者に取り返す」ということです。お客様はいつも市場を見ているわけではありませんので、いちばんお客様に近い我々が価格を決めるのです。

by yamasho8044 | 2014-12-05 08:30 | リフォーム
2014年 12月 01日

②簡易水洗トイレの営業所から始まった

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簡易水洗トイレの営業所から始まった

──麻雀ですか。どんな面子ですか。

山崎 このあたりは農村地帯でしたが、地下鉄の日比谷線が入ってきて、昭和52年(1977)頃に地価が上がり、一気に景気が良くなりました。うちの敷地の一部を駐車場として不動産会社や建設会社に貸すようになり、その営業の人たちは私と年が近いので、麻雀に誘われるようになったのです。
 雀荘に入り浸っているうち、ある方に「暇そうだね。そんなに暇なら、仕事を手伝ってくれないか」と声をかけて頂きました。簡易水洗トイレの営業でした。

──怪我の功名ですね。簡易水洗トイレとは。

山崎 ゴムパッキンを使った、列車のトイレのようなものです。
 本下水も浄化槽も埋設できできないところは汲み取り式ですが、お子さんが年頃になると、汚物が見えるトイレを嫌がります。
 交通の便が悪い地域に車で連れて行かれて、夕方迎えに来ます。半信半疑でしたが、休むところもないので、片っ端から戸別訪問すると、驚くほど売れました。

──いくらぐらいの収入になるんですか。

山崎 固定給なしのフルコミッションで、契約が取れたら売上の3割もらえます。契約1件30万円ぐらいでしたから、1件で10万円近くになりました。
 花屋のときは朝早く起きなければならないし、じつはたいへんな重労働でした。

──どんな重労働ですか。

山崎 例えば冬には、生花を折って水を吸わせる水折りという作業をすると、手に灰汁が入って熊のようになります。夏は何百本ものたっぷりの水を何度も取り替えなければなりません。ですから、きれいな格好はできなかった。
 ネクタイをするのは、なにかエリートの人というイメージでした。こんなにきれいな格好で、こんなにラクして、こんなに儲かるのかと思ったのは、偽らざるところです。
 花屋の店舗を貸してほしいという人がいて、16坪で32万円ぐらいになりましたので、店を畳み、自宅を営業所にしました。

──電話で注文を受けて、お客さんのところに行けばいいわけですね。開設はいつ頃ですか。

山崎 昭和52年12月7日です。全くゼロからのスタートですが、父の会社名「山商」は受け継ぎました。

──リフォーム全般を始められたのは、いつ頃ですか。

山崎 10年ぐらい前からです。首都圏12店舗になりました。ここまで山あり谷ありどころか、絶壁もありでした。
 最初の10年間は順風満帆でした。高度経済成長期で、地方から人がどんどんやってきて都内に家を持ち、郊外にも家が増えていきました。そのうち、モルタルづくりの外壁にひび割れができて、我々に仕事が入ります。また時の建売住宅は汽車便と言われる和式トイレで、洋式トイレに替えたいという依頼も多かった。

──ずいぶん営業もされたでしょうね。

山崎 創業当時は新築の最盛期で、リフォームという言葉もありませんでした。
 あの家は新しいから、あの家は古いからと理屈をつけていると、万が一の商機を逃すこともありますので、とにかく軒並みぜんぶ訪問すべし、と自分にノルマを課しました。
 晴れ着の丸昌さんと間違えて招き入れられ、山商とわかったら追い出されたという経験もありましたが。

──リフォームを知っている人が少なかった。

山崎 当時は電話帳が主でしたが営繕の項目しかなく、リフォームと言えば洋服のお直しという時代でした。
 自宅の設備を直したいというお客様はいらっしゃいましたが、業者がたいへん少なかったので、仕事を取れたのだと思います。

by yamasho8044 | 2014-12-01 10:52