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山商リフォームサービス山﨑晶弘の会長日誌

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2007年 08月 06日

娘のレポートからφ(.. )

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先ず、今回のレポート作成にあたり、奉仕団体ロータリークラブで、海外との間で青年職業人との交換をする活動をしていて、来年は日本人の移住100年になるブラジルとの事で、ならば節目でもあり、なにより父からの話に興味を抱き取り上げる事にしました。

 当時の日本は明治維新後間もなく、人口の増加に国力が追い付かず、農村部での困窮振りは今の豊かな日本からは想像しがたい程の窮状でした。

そんな状況の下で施行されたブラジル移住ですが、開国間もない日本で、生涯10㎞以上の移動をした事がな多くの日本人にとって、太平洋を越えたブラジルは正に現在の“火星”程の距離感があったのではないでしょうか?

“火星”程離れた異国の地で、言葉から文化まで全く異なり、更には未開の地を開墾する重労働の中、彼等を支えたのは日本の宗教でした。

余談ですが、自ら会社を興した父が、会社を発展させていくには哲学がなければダメだと言っているのと符合します。

 「モノは観よう考えよう」という詞がありますが、正にその通りだなぁと改めて思いました。

しかし当時、仏教や神道を持ち込む事は排日感情を煽るとして、布教は余儀なく自粛を強いられました。

1930年代には生長の家/天理教/大本/本門仏立宗等の展開がみられたが、本格的に展開が始まったのは、先の大戦後の1950年代になって浄土真宗本願寺派/真宗大谷派/曹洞宗/浄土宗/真言宗//日蓮宗と出揃い、更に1950年代に入ってからは新興宗教/パーフェクトリバティ教団、1960年代になると創価学会/金光教が、1970年代に立正佼成会/霊友会/GLA/、1980年代に修養団棒誠会、そして1990年代になって阿含宗/幸福の科学とほほ全てが布教された。

この他にも日系真宗教として稲荷会/神乃家ブラジル大神宮教/伯国観音寺/成願寺不動尊祈寿所新興宗教も存在している。

これらの宗教が日系人を対象に布教した後、日系人の枠内に留まったものと、その枠外に拡まったもの、そして日本に本部を有する新興宗教にも拘わらず、ブラジルで多くの非日系人を信徒する事が出来たのだろうか!

日系新興宗教には形態的に、親子型や中央集権型から成る組織を軸としたタイプと、教師を中心にとした参詣型や信徒を中心とした布教者型から成る軸のタイプとに大別される。

これらがブラジルという異国で布教展開していくに当たり、布教の拡大と信徒の増加であるが、これは以下の3点が解決された度合いに因る。

先ず、異文化社会に在って、自らの宗教としての独自性を保ちつつ、言語の克服/奇跡の信仰/異質性の希釈/カトリック教との摩擦回避しながら適応していった事。

次にブラジル人気質を理解した上で、信徒の育成システムを確立、信仰を利益から心直しへと深化させ、教義中心へと発展させた事で、流動的な非日系人信徒を定着させました。

そして日本の本部からの支援を得て、組織の広域化に伴い拠点毎の施設の設置、役割に応じる資格の授与と現地人の役職登用等々に因って展開していった。

これらの要因に因り、ブラジルに於いて日系人は人口の僅か1%にも満たないにも拘わらず、日系というエスニック・グループを超えることが拡大課題となる。

1990年代になってからは、日系人の日本への出稼ぎ現象が始まり、日系新興宗教に大きな影響が及んだ。

1960年代までは非日系人が多く拘わり、日系人主体の新興宗教ではあったがその後日本回帰した大本、日系人の集住する地域でエスニック・チャーチ化した金光教、逆に戦後移住のエスニック・チャーチからの脱皮を図ろうとする立正佼成会、信徒の97%が非日系人の世界救世教や90%の創価学会。
1990年代には急激に非日系人に布教を拡大し、結果60%が非日系人で占める霊友会がる。

日本人の移住以前からブラジルのに存在した宗教文化と、移住後の日本〉日系人からの日本の民族宗教が習合し、散発的で体系的にレビューしにくいが、今秋父の活動する奉仕団体ロータリークラブで、来日するブラジル人の青年職業人との交換等を交えて、各箇所毎深究し、冒頭の“火星”程離れた異国の地で、言葉から文化まで全く異なり、更には未開の地を開墾する重労働の中、彼等を支えたのは日本の宗教から始まり、逆に現在では日系人の日本への出稼ぎ現象に至った経緯を、書籍と人物の両面から捉えたいと思います。

by yamasho8044 | 2007-08-06 08:30 | リフォーム


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