このBLOGでもしばしば取り上げさせて戴いている業界団体ジェルコの人間学研究会で副本としている雑誌【至知】に、私がPTAの会長を務めさせて戴いていた時波紋を呼んだ事と同じ事が掲載されていましたので以下抜粋しましたぁ\(--;)
[健全な喧嘩をしよう]
高校教諭をしていた著者が進路指導主事を嘱託されその会議を開いた時その冒頭で、'健全な喧嘩をして欲しい、喧嘩をすることで結果的に和を深め建設的な組織になり得るのはただ一つ、原案に反対だったり疑問があれば必ず対案を出して議論する場合です。'
平成に入った頃から、教員間には表向き言い争ったり、教育問題を巡って議論が白熱するなどの光景がすっかり影を潜めました。
第一、職員会議が会議ではなくなりました。では何か。単なる連絡の場に過ぎません。この傾向は、平成に入って顕著です。そんな状況ですから、今や教員が会議の仕方を知らないのです。
このように、近年の教育委員会や現場の管理職は異論や対論が出るのを好みません。それがどんなに画期的な内容であっても忌み嫌う。とにかく議論に花が咲くのを恐れる、そんな空気に覆われているのが当節の教育界です。
今はいじめと喧嘩の違いが分からなくなった時代です。ではどこが違うのか。それは、確固たる作法と不文律がありやなしやの一点にあります。
いじめやたかりにはルールがありませんから、抑制が利かないのです。情が枯渇しているのです。
ところが喧嘩は違う。取っ組み合いをしても、急所は狙わない、噛みつかない、獲物(得意な武器)は持たない、相手が戦意喪失したら止める等々の掟があります。要するに、卑怯で卑劣な行為はご法度なのです。
次回に続く…