「光陰矢の如し」といいますが、本当に月日の経つのは早いもので、親父が亡くなって42年が経ちました彡
当時大学4年だった私も今や二児の父と成り、既に晩年の親父の心境境地に(゜_゜)(。_。)
親父が生を受けるのと引き替えに母が没し、そのまま母の実家で育てられた親父は、生いたちの環境もあって自立心が強く、戦前の高等小学校卒業と同時に東京の洋裁店に奉公したと聞いています∂
その後当時新興地であった東京蒲田で、何故か洋裁店ではなく燃料店として独立創業しましたp(^^)q
その勤勉な仕事ぶりを見て、得意先だったおふくろの姉の夫(結果私の伯父)の仲人で結婚(^^)/▽☆▽\(^^)、幸せな新婚生活を送る間もなく召集令状が〒
陸軍二等兵として満州に派兵され、終戦で捕虜としてシベリアに抑留され、帰国した時は体重37㎏生きる屍状態だったそうです|(-_-)|
おふくろの実家福島県四ツ倉町(今のいわき市)で療養、医師で後に福島県知事/全国知事会長迄務められた木村守雄先生の治療と、おふくろの渾身の看病が功を奏して快復\(^O^)/
東京蒲田に戻り燃料店を再興…㊦に続く